新宮城は、室町時代に服部氏によって築かれた。 服部氏は、甲賀郡中惣を組織した
甲賀五十三家の一つ、荘内三家に数えられた有力土豪であった。
戦国時代の甲賀郡は、飛び抜けた領主がいなかったかわりに、
谷ごとに土豪、地侍たち(甲賀衆)によって支配されていました。
しかもその支配は本家である惣領家だけでなく、
同じ性をもつ家(同族)どうしが結束してあって行うところに特徴があり、
そういう一族の結合を「同名中」と呼び、
掟を定め、戦の時の動員や、もめごとの解決などを寄会で合議し決定したと考えられています。
戦国時代後半にもなると、まず近接する同名中どうしが連合し、
さらに広域(信楽を除く甲賀上郡域)の地侍が連合して地域を治めようとする「郡中惣」へと
発展していきます。
しかし、いずれの場合も地侍の連合に変わりはなく、
最後まで領主権力を一カ所に集中させる方向に行くことはありませんでした。
このような小領主間で横方向に連なる体制は、
同じ大きさで、同じ形の城が地域内に群在する
甲賀の城の姿と見事に符合しているといえます。
甲賀市教育委員会 歴史文化財課
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