この地は古来から山上郷の中心で、鈴鹿関と不破関の間に位置し、
京の都と東海を結ぶ間道として、武家集団、山越商人、
文人墨客が往還した八風街道の宿場としても繁栄した。
鎌倉時代からこの地の盟主だった小倉氏が築城し、
観応2年(1351)蒲生野合戦や
文安3年(1446)六角久頼軍の来攻により山上が戦場になった。
明応元年(1492)幕府軍の攻撃に六角時頼・
時綱が山上で自害している。
東近江市山上町
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築城年 |
平安末期 |
築城者
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小倉氏 |
歴代城主 |
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形式 |
平山城 |
遺構 |
無し |
現状の形態 |
安養寺 |
備考 |
城跡の地図 |
駐車可 |
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