城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)


  長久保城 
       静岡県長泉町下長窪   城山神社                         2011/12/04  訪城
 

別称

長窪城

城山

 



文明14年(1482)葛山氏が沼津郷侵略のためこの長久保を拠点にしたという。

天文6年(1537)北条氏綱が駿東・富士侵攻のため今川氏が築いた古塁の跡を修復して築城したという。

天文14年(1545)今川氏は北条氏の侵攻に対し、この城を攻撃して奪った。

永禄11年(1568)信玄が駿河に侵攻すると北条氏は駿東を押さえ、長久保城は再び北条氏が支配したが、

元亀2年(1571)両者が同盟を結び、駿河の大半が武田氏の領有となると長久保城は武田氏が支配した。

天正10年(1582)武田氏滅亡により徳川氏の支配となり、松平家忠に修築させた。

天正18年の小田原征伐の際、家康は豊臣秀吉をこの城で迎え、攻城の拠点として使用したという。家康の関東移封後は、駿府城主中村一氏の弟で沼津城主の一栄が支配したが、

慶長5年(1600)中村氏が伯耆米子に転封となると廃城となったといわれる。

                静岡県の中世城館跡  静岡県教育委員会発行

             

築城年  不明 築城者  不明 歴代城主  今川氏、武田氏、北条氏、徳川氏  形式 : 平山城   
遺構  曲輪、土塁、空堀  現状  城山神社  ご案内  城跡の地図 神社で駐車可能  


                                                                                                  

                                                       

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