興国寺城跡の訪城の時は整備計画中でブルーシートが至る所に架かっており
立入禁止地域もあり少し残念と思っていましたが…
この様なことを吹き飛ばす。広大な城跡で,高くて長い土塁、堀の深さ半端でない、
堀底を歩いて見上げると首がだるくなる程深いです。
飽きる事無く探索が楽しめる城跡です。 この城は北条早雲が旗上げした時の城です、
早雲は始めは伊勢新九郎長氏と称し駿河守護今川義忠の側室であった、妹を頼って今川家に身を寄せた。
義忠の急死後、今川家の相続争いを収めた功により城を与えられ、ここを足掛りに
伊豆国領主となって韮山城に移り戦国大名へと成長した。その後、興国寺城は駿河、甲斐、伊豆の境目に位置したため今川,武田,北条
の争奪戦の中に置かれ、城主は次々と替わった。天正十年(1582) 武田勝頼滅亡後、武田方の城主:曾根下野守正清が開城した為
徳川方の城と成り、天正十八年(1590) 徳川家康が関東移封後は豊臣秀吉の武将:中村一氏の家臣河毛重次が城主となった。
関ヶ原合戦後は、三河三奉行の一人:天野三郎兵衛康景が城主となったが、康景の逐電により廃城となった。
築城年 |
室町末期 |
築城者 |
詳細不明 |
歴代城主 |
北条、今川 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
曲輪、天守台、石垣、土塁、空堀 |
現状 |
史跡公園 |
ご案内 |
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駐車可 |
城跡の地図 |
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