現状は山林ですが曲輪、土塁、石垣等けっこう残っています、近江の彦根城主の井伊家のご先祖さま…
南北朝期:井伊道政が本拠とした南方の拠点だった。後醍醐天皇の皇子:宗良新王はこの城に立て篭もり、南方の復興を画策したが、
興国元年(1340) 足利尊氏の武将:高師泰:仁木義長に攻められ城は落城した。新王は安部城へ退いた。
永正十一年(1514) 大河内貞綱が尾張の斯波義達と組んで反今川の兵を上げたとき、井伊直盛は斯波氏見方して
三岳城を守ったが、今川氏親の将:朝比奈泰持以の猛攻撃に遭い落城、井伊氏は奥山城に逃げた。
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