城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
鹿野城(別称 鹿加奴城)                                                                                                                                                                                                                                  

 2008/7/19  訪城 別称 王舎城                                                                               
鹿野城 



  鹿野小学校を目指し車で走りました、着いてビックリあまりにも立派な小学校で、建築物は勿論 

 設備も、美観も言うこと無しと思いました、そこから車で数分で城山公園です、まず目に飛込んで

 来たのは木造の灯篭とマッチした水堀の美しさでした。みのやんは掘りまわり先ず探索いたし 

 その後天守に登りました、登城中には石垣はあちらこちらと残っています、天守台は基礎石も  

 残っておりました。この城の櫓の名称が変わっているわ〜オランダ櫓、朝鮮櫓とか山麓に名称の

 説明板を見たが…帰りに読もうと思っていましたが忘れたわ〜 もう歳ですね〜       
 
                            鳥取県鳥取市鹿野町鹿野

 城跡の地図

 鹿野城登城道 鹿野城図  鹿野城 

                    略史

    室町町時代に、 志加奴が築城したといわれている。戦国時代、天神山を本拠とする因幡山名氏と鹿野城水堀

                   月山富田城の出雲尼子氏とが争奪戦が繰り広げた。

 永禄9年(1566)  毛利氏より尼子氏が滅び、因幡山名氏は家臣の裏切りで勢力は衰え、鹿野城は

                   毛利氏の支城となった。

 天正9年(1581)  鳥取城攻めの戦功により、亀井茲矩が鹿野城主となった。

 元和3年(1617)  城を継いだ政矩石は石見津和野に移封となり、廃城となったが、鳥取城に入った

                池田光政の家臣、日置豊前守忠俊が入封し、山麓に陣屋を構えた

 貞亨2年(1685)  池田仲澄が二万五千石を分地された以後は池田氏が十代続き明治維新を迎えた。                                                                                
  
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