城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
yahasi
八橋駅付近一帯が城跡で、駅の北側に城跡の碑が建っており、そこから登り始めました。 曲輪は今は神社で本丸跡には酒井片桐飛行殉難碑が建っていました。 見た感じは全く面白みの無い城跡です、悪しからず!即座に鹿野城に向いました。 略史 大永4年(1524) この城攻略した尼子経久は城番に吉田左京亮を置いて、伯耆支配の拠点としたが、 尼子氏が毛利に滅ぼされ城は杉原盛重が守った。 天正年間(1573-92) 織田氏と対決するようになると毛利勢の中心拠点として重視されれ、整備された。 豊臣政権下では南条氏が領有したが、関ヶ原合戦後、徳川政権下で一時中村氏、市橋氏が入封した。 元和3年(1617) 池田光政が鳥取藩主となると一藩一城制で廃城となった。 寛永9年(1632) 池田光仲が入国後は、津田氏が領有し、明治まで陣屋を置いた。 2008/7/19 訪城
城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)
文久3年(1863) 完成し、沿岸警備のた為、築造されたもで 大砲を配置され、演習も行なわれたが実戦はなkつた。 この土地は今津村大庄屋松波宏年が無償で手提供した。松波が率いる農兵松波隊が守備した。 |