天慶3年(940年)に藤原純友の配下稲村平六景家がこの地に拠ったとも伝えられているが詳細は不明である。
戦国時代に大内氏の重臣内藤隆春が築城し、「温故私記」によると
永禄12年(1569年)9月に、内藤氏家臣の勝間田盛長を城番として置いている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで毛利氏は防長二州に減封されたため、山口城に居を構えていた
毛利秀元
が支藩の
長府藩の居城として改修し雄山城と称した。しかし
元和元年(1615年)に江戸幕府の定めた一国一城令によって取り壊され、隣接地に居館を置いた。
幕末の外国船との戦いに備えて築いた勝山御殿に移るまでの約250年、長府藩の政庁であり、藩主の居館であった。
現状は関見台公園
関見台公園には、石垣の一部が現存している他、復元した石垣・天守台も整備されている。また、居館(政庁)跡地は、
山口県立豊浦高等学校の敷地となっている。
築城年 |
永禄12年(1569)内藤氏 |
築城者 |
稲村平六景家?内藤氏 |
歴代城主 |
内藤、毛利 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
天守台復元石垣 |
現状 |
関見台公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
無料駐車場有り |
|