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土肥山城跡 |
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山口県下関市長府侍町 (土肥次郎實平之城趾の碑) |
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土肥山公園 2014/01/25訪城 |
文治元年(1185年)土肥次郎實平によって築かれたと云われる
壇具川沿いにある、フェンスで囲まれた土肥山公園の一角には、花崗岩による「土肥次郎實平之城址」の
碑が、ひっそりと建てられています。この碑は源平合戦での勝者源氏に関わる、
数少ない源氏伝承を物語っている。
平家滅亡後、まず源範頼が没収跡御知行ということで戦後処理の任につき、ついで鎌倉方の土肥次郎実平が
総追捕使として長府の地に入ってこの山に居城し、平家の残党追捕と長門国の鎮撫に当たりました。
観応年間(1350年~1352年)頃には厚東太郎が居城していたという。
この碑は1922年(大正11年)3月15日、郷土の人桂弥一が土肥山の山頂に建てたものです。
昔は日頼寺の裏の土肥山から現在の土肥山公園があるところまで山が続いていたんだろう。
現在は大規模な宅地開発のため、碑はこの地に移されました。
築城年 |
文治元年(1185年) |
築城者 |
土肥実平 |
歴代城主 |
土肥実平。厚東太郎 |
形式 |
丘城 |
遺構 |
無し 碑 |
現状 |
土肥山公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
無し |
参考文献:防長歴史探訪

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