武節城 別 永正年間(1504-21)、 築城年 永正年間(1504-21) 築城者 菅沼定信 歴代城主 菅沼、奥平 形式 平山城 遺構 曲輪、土塁、空堀 現状 城山稲荷 ご案内 駐車可
城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)
愛知県豊田市武節町城山
2010/05/04
訪城
称地
伏
城
1556)武田信玄の家臣・
下条信氏の侵略をうけ激戦があった。
元亀2年
田峯城菅沼定信の支城として築城された。
弘治2年(1571)信玄は三河侵攻をはかり、
田峯の菅沼定直、作手の奥平貞能、
長篠の菅沼正貞を降した。
以後、天正3年(1575)、
長篠の戦までこの地方は武田の支配を受ける。
天正3年、
長篠の戦いで敗れた武田勝頼は
武節城へ落ちのび、梅酢湯を飲んだという
天正18年(1590)、
家康の関東移封に伴い、廃城となった。この時、武節城も本城・田峯とともに降った。