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愛知県額田郡幸町 深溝城 2015/11/23 訪城 |
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大場氏により、寛喜3年(1231年)、あるいは正慶元年(1332年)に築城とも言われるが、
築城年代は不明である。この深溝城を松平信光(寛正6年(1465年)説)、
または松平忠定が奪取した(深溝紀略、大永3年(1524年)説)という。他に永正2年(1505年)説。
『
三河物語』、東照宮御実紀などには、大場氏の登場はおろか、
深溝城の奪取についても一切記載がなく、松平氏が深溝城を拠点とする以前については不明である。
深溝城は松平氏のものとなり、吉良氏との戦いの拠点になった。
代々深溝城主になった一族を深溝松平家という。それから城主は二代目好景、
三代目伊忠、四代目家忠、五代目忠利と続き、
慶長19年(1614年)に忠利が三河吉田藩の吉田城へ移った事で、
深溝城の深溝松平氏の支配は終わる。元和元年(1615年)、深溝城は廃城となり、以後陣屋と称した。
(ウィキペディアより)
土塁みたいな感じが有るが定かでは無い!
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城年 |
不明 |
築城者 |
不明 |
歴代城主 |
深溝松平氏 |
形式 |
平城 |
遺構 |
なし |
現状 |
城跡碑のみ |
ご案内 |
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駐車場 |
工場に停めさて頂きました。 |
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