愛知県名古屋市中区下茶屋町 |
天文三年(1534) 那古野を今川氏豊
から奪った織田信秀が東南の備え
為、築城した。
天文十六年(1544) 信秀は斉藤道三
の美濃を攻めたが敗走して古渡城
に戻った。
天文十七年(1545) 信秀は末森城を築き
移り、信長は那古野城から清洲城に
移った為、古渡城は廃城となる。
道三が勝ちに乗じて信秀の領地である、
大垣城を攻めたため、信秀は再び出陣
した。この間織田主家の老臣:坂井大膳
:勘助らが清洲衆を攻め町を焼き払った
帰城した信秀と清洲衆と間が険悪になっ
たが、平手政秀が仲介役を務めた。又
道三と信秀の和睦に際して、道三の娘
濃姫を信長の嫁にしたのも平手秀政の
功績であった。
2009/03/28
訪城
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