日近城(ひじかじょう)
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岡崎市(額田町)桜形字般興
2012/07/09 訪城 |
丸一ヶ月間の城廻から遠のき、久し振りに山城を歩くと樹木の香り土を踏む足裏の感覚など全てが楽しく感じて来る…
文明(1469-87)初期、作手亀山城主だった奥平氏三代目・貞昌がこの地に築城した。
次男・九兵衛貞直は日近奥平氏の祖となり
今川氏に属した。弘治元年(1555)、貞直は今川に背いて織田に寝返り、岡崎を攻めようとした。翌年2月20日、
奥平貞勝と家康の名代・松平義春が戦う日近合戦が勃発した。今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると、
日近城は織田氏と和睦した松平氏と奪取することになったが、
日近城の周辺は武田氏と徳川氏の勢力争いの接点でもあった。
貞直の後を継いだ貞友は作手奥平氏とともに永禄7年(1564)家康に従い、元亀元年(1570)武田氏に従い、
元亀4年には再度徳川氏に従った。天正3年(1575)長篠の戦で、奥平七族と篭城して武田方と戦った。
築城年 |
文明初期 |
築城者 |
奥平貞昌 |
歴代城主 |
奥平氏 |
形式 |
山城 |
遺構 |
曲輪、土塁・空堀 |
現状 |
広祥院ウラ山 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場(広祥院) |
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