|
|
愛知県岩倉市下本町城跡 |
2011/07/16 訪城 |
明応年間(1492-1501)、織田敏広が築城した。
敏広は尾張守護・斯波氏に属し、この岩倉城を拠点に守護代として、
丹羽・葉栗・中島・春日井の尾張4郡に勢力を誇っていた。ところが、
尾張には清洲城を本拠とする別派の織田敏定がおり、
尾張南部にて活躍して両者は絶えず争っていた。その後、
弘治3年(1557)岩倉城主4代目・信安の時、清洲城主は信長となっており、
信長と信長の弟・信行の間で相続争いに
不穏な動きが出た際、信安は信行の味方をした。そのため信長に攻められ、
永禄元年(1558)浮野合戦で敗北し、翌年、岩倉城は落城した。
現在は写真のような立派な碑が建っているだけです。
堀跡が発見されたようですが、みのやんでは解りませんでした。
尾張地区 (名古屋市:北西部:東部地区:知多部地区)
©minoyan
|