上和田城(かみわだじょう)
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大久保一族發跡地の石碑 和田城用心壕跡の石碑 愛知県岡崎市上和田町南屋敷 2012/07/09 |
大久保氏は宇都宮氏の一族であると伝わり、宇都宮泰藤が南朝に属して新田義貞に従って各地で戦功を挙げ、
三河上和田に移り住んで上和田城を築城した。泰藤の孫・泰道の時に宇津氏と改姓し、松平信光に仕えて以後、
松平氏の重臣となった。その後、忠俊の代に越前から武者修行として宇津家に滞在していた大窪藤五郎に請われて、
大窪氏に改姓、後に大久保氏に改めたといわれる。
永禄六年(1563年)、三河一向一揆が勃発すると、大久保氏は一族を挙げて家康に味方し、
上和田城で一揆勢を迎え撃った。
天正十八年(1590年)、家康が関東に移封となり、大久保忠世も小田原城四万五千石に封ぜられてこの地を離れ、
上和田城も廃城となったと推察される。
築城年 |
天文17(1548) |
築城者 |
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宇津忠茂 |
歴代城主 宇津、大久保、 松平 |
形式 |
平城 |
遺構 |
堀、濠碑 |
現状 |
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ご案内 |
大久保一族発祥の碑 |
駐車場なし |
城跡の地図 |
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