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愛知県刈谷市城町 2007/10/28 訪城 |
天文二年(1533) 徳川家康の母、於大の方の父にあたる水野忠政によって築城された。
忠政はそれまで居城としていた緒川城から移転。以後一時は、佐久間信盛が入るが
寛永九年(1632) 三河吉田城に移封されるまで忠政、信元、忠重、勝成、忠清と代々が
続いた。その後深講松平、久松、稲垣、阿部、本多、三浦、土井氏と渡り明治を迎えた
逢妻川、境川、石ヶ瀬川、岡田川の合流点の東に位置していた城は現在では本丸と二の丸の一部が
亀城公園として整備されている。
遺構としては本丸を囲む土塁と水堀の一部が残されているだけ。また亀城公園から
約200m東に於大の方が阿久比の久松後勝と再婚するまでの間に
住んでいたと言われる椎の木屋敷跡があります。
築城年 |
天文2(1533) |
築城者 |
水野忠政 |
歴代城主 |
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形式 |
平城 |
遺構 |
水堀、本丸、土塁 |
現状 |
亀城公園 |
ご案内 |
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駐車場有り |
城跡の地図 |
©minoyan
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