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愛知県田原市田原町巴江 |
別称 巴江城 2007/7/15
訪城 |
文明十二年(1480) 三河の上野荘(豊田市)の荘官だった戸田宗光が田原城を築城し渥美半島を制圧した。
一時は知多半島まで支配した。 しかし
天文十六年(1547) 戸田氏四代尭光は今川義元に送られる筈の人質、
松平広忠の嫡男竹千代 を 途中で奪い織田家に送った、今川義元は激怒し田原城を攻略した。
永禄三年(1560) 桶狭間の戦いで今川が大敗退すると、家康は田原城を攻略し、本多広孝を田原城主とした。
天正十八年(1590) 秀吉の命により家康は関東に移封、本多家重(広孝の子)も上野国白井に移り、
東三河は吉田城主池田輝政の支配下となる。
家老の伊木忠次は輝光の命を受け、近世城郭に大修復させた。
慶長五年(1600) 関ヶ原の合戦の軍功により池田氏は姫路に転封、
替わって戸田氏の血を引く戸田尊次が帰り咲いて三代で
寛文四年(1664) 肥後天草富岡城に移封。替わって三宅康勝が1万2千石で入城以後
三宅氏十二代の居城として明治維新を迎える。
城跡は巴江公園となって整備されているが、本丸跡には神社が建っており、
昭和33年に櫓が築かれその後城門が復元されている。
尾張地区 (名古屋市:北西部:東部地区:知多部地区)
築城年 |
文明12(1480) |
築城者 |
戸田宗光 |
歴代城主 |
戸田、本多、三宅 |
形式 |
丘城 |
遺構 |
曲輪、空堀、石垣、 井戸 |
現状 |
城跡公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車可 |
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