丹下砦(たんげとりで)
|
| HOME | |
織田信長が、今川勢に対抗して築いた砦の1つ
|
愛知県名古屋市緑区鳴海町丹下 2014/04/27
訪城 | 1559年(永禄2年)の山口教継、教吉親子の切腹により、
鳴海城は南の大高城とともに今川義元直属の支配下となった。
織田信長はこれに対抗すべく、鳴海城を取り囲むように丹下砦、善照寺砦、中嶋砦の三砦を築き、
さらに大高城との連絡を絶つべく、大高側に丸根砦、鷲津砦を築いた。丹下砦には水野帯刀、
山口ゑびの丞が配置された。砦の建築は孤立した前線基地へ敵勢をおびき寄せる目的もあった。
現在の光明寺の裏山が城跡に当たるが、大部分が宅地化され、城址碑も存在しない。
|
|
|