上野(上野上村)城
文明年間(1444〜49)
伊勢貞親の被菅戸田弾正左衛門宗光が築城した。
1475年宗光は美郡大津へ移住し、弟の家光が入ったが、
松平宗家四代親忠に攻められる
明応2年(1493) 「井田野戦い」で上野城阿部孫次郎は、
寺部鈴木氏、拳母中条氏、八草那須氏、伊保三宅氏と共に
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松平宗家四代親忠に戦いを挑むが、敗れ服属する。
明応3年(1494) 松平宗家六代信忠弟桜井松平信定が入り、
清定、家次の居城となる。
天文14年(1545) 広畔畷の戦いで清定、家次、酒井将監忠尚、榊原七郎長政らは、
松平宗家八代広忠に破れたが、翌年 酒井将監忠尚が許され城主となる。
天文18年(1549) 今川勢に落とされるが
永禄3年(1560) 桶狭間の戦いで今川義元
が戦死し、松平元康が自立し、三河を平定する際、上野城も手にした。
禄6年(1563) 三河一向一揆の際、忠尚は一揆方に付き、松平宗家九代家康と戦う、
翌年一向宗と和議で一揆は治まり。その後
岡崎城主の石川数正の管理となり、上野七人衆と呼ばれる在藩衆が置かれた。
この城は徳川四天王榊原康政生誕の地と知られている。
2008/9/14
訪城
愛知県豊田市上郷
2012/07/09 訪問
築城年 |
文安年間(1444-49) |
築城者 |
戸田小法師宗光 |
歴代城主 |
戸田、阿部、桜井松平、松平、酒井 |
形式 : 平城 |
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遺構 |
土塁、櫓台 |
現状 |
城山稲荷 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車なし |
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©minoyan |