大館城(おおだてじょう)
天文19年(1550年)浅利勝頼が築城したといわれる。戦国時代には、この地は浅利氏、南部氏、
秋田氏(安東氏)、津軽氏の間で争奪戦が繰り広げられ、豊臣政権下では秋田氏の所領だった。
関ヶ原合戦後、秋田氏は常陸国に移封となり、替わって
慶長7年(1602年) 佐竹義宣が秋田へ入部し、赤坂朝光に大館城接収を命じた。しかし、
旧浅利家臣の一揆がお小場義成が鎮圧した。
慶長15年(1610年)、義成は旧浅利勢力を押さえ、津軽・南部の国境を固めるため、正式に大館城主
として入城した(小場氏は後、佐竹を名乗ることを許され、佐竹西家と称した)。
元和6年(1620年)、領内支城破却の際、横手とともに残置が認められた。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発し、大館地方は楢山佐渡率いる南部軍の十二所、
長木口攻撃で戦場と化した。戦火が激しくなり、秋田側は城に火を放って一旦は退城したが、
弾薬不足となった南部軍が引き上げた。
明治元年(1868年)、大館城代佐竹義遵は大館城の自焼を命じ、焼失した。
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