戦国時代、津軽地方を統一した大浦為信が、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、
津軽一円の本領安堵を得て 姓も津軽と改称した。
慶長8年(1603)、為信は弘前城築城に着手するが、翌年京都で客死し、築城は中断した。
慶長14年、2代津軽信牧が築城を再開し、
2年の歳月を経て五層の天守をはじめとする大城郭を完成した。
五層の天守は、寛永4年(1627)落雷によって焼失した。
その後、文化7年(1810)本丸隅櫓を改造して天守とした。
津軽氏は、12代に亘り津軽地方を領した。
現在弘前城史料館として津軽藩の史料を展示。
弘前城と言えば私は頭の中で上記の様な桜が浮かんで来ていました。
築城年 |
1611年 |
築城者 |
津軽為信・信枚 |
歴代城主 |
津軽氏 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
現存天守・櫓・門
石垣、土塁、堀
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再建造物 |
二の丸東門与力番所 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場有り |
桜の名勝 |
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