城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭
花巻市役所に大手門の碑があり、前に時鐘があります。
戦国時代、稗貫氏が花巻に城を構えたが、天正18年(1590)、稗貫広忠が小田原征伐に参陣しなかったため秀吉に所領を没収された。
翌天正19年、秀吉の奥州仕置後、和賀・稗貫氏の領地は南部氏の所領となり、花巻は城代として北信愛・秀愛親子が入り、城を整備した。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際、和賀・稗貫氏の残党による一揆が勃発し、花巻城を攻めた。北信愛は防戦に努め、一揆勢を撃退した。
その後、南部藩南の守りの要として存続し、明治を迎えた。
花巻城は中世、稗貫氏の居城「鳥谷ヶ崎城」として誕生。豊臣秀吉が東北を支配下に置くと、南部氏の所有となり、地名を花巻と改称。
南北約500m、東西約700m、総面積は約20万uを超え、北上川、豊沢川、瀬川、猿ヶ石川を利用した大きな要害でした。
江戸時代は城代がおかれ、城下は奥州街道の宿場町として発展しています。
明治維新により城は破却されましたが、近年になって花巻城西御門(上段の写真)が復元されました。
築城年 |
天正19年(1591年) 元号一覧 |
築城者 |
北秀愛 |
歴代城主 |
北、南部 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
曲輪、堀、円城寺門、鐘楼、井戸 |
現状 |
城跡公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
駐車ペース有り |
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