近世一関藩主・田村氏の居館は釣山の東裾(現在の城内地区)にあり、
釣山は藩主の居館を見下ろす場所のため庶民は入ることができなかった。
藩主居館は周りに水堀をめぐらして土手を盛り、周囲を侍屋敷で固めていた。
町家や下級の侍屋敷との間には「ごけん堀」があって、
この堀に接する現在の大町に大手門が、地主町に裏大手があった。
天正年間(1573-1591年)末期、奥州仕置によって葛西氏が滅んだ後、小野寺伊賀が築城した。
一関は豊臣大名・木村氏を経て伊達氏が領有した。
慶長9年(1604年)、伊達政宗が叔父である留守政景を一関に移し、
寛文年間(1661-1672年)、政宗の10男・宗勝が入ったが、
伊達騒動により宗勝は土佐に配流となった。
天和2年(1682年)、田村建顕が岩沼から移封となり、
以後11代続いて明治を迎えた。
築城年 |
天正年間(1573-91年)末期 元号一覧 |
築城者 |
小野寺伊賀 |
歴代城主 |
小野氏 |
形式 |
山城 |
遺構 |
土塁、曲輪、井戸 |
現状 |
釣山公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
無料駐車場有り |
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