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岩手県奥州市江刺区岩谷堂字館山 別称 柄杓城 2013/07/27
訪城 |
岩谷堂城跡、館山史跡公園までやって来ましたが猛烈な豪雨に会いトテモ車から降りられる状態でなく…断念しました。
次の目的地に向う道中に岩谷堂小学校の前を通ると岩谷堂城御館坂の碑が目に入り、来た証拠にこの写真を撮りました。
一様略史を
鎌倉時代、葛西氏が北上川中流域以南を所領した際、千葉頼胤の三男・胤道がこの地に配されたといわれる。
南北朝時代以後、葛西氏の一族・江刺氏が強大な勢力を持ち、葛西氏と幾度か対立するも、
明応4年(1495年)江刺氏は敗退し、岩谷堂城は葛西政信の孫・三河守重胤が領有した。その後、
葛西氏は秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため没落した。その後、木村伊勢守吉清の家臣溝口外記が入ったが、
天正18年(1590年)、一揆により殺害された。続いて伊達政宗の家臣・桑折摂津守が入城し、
続いて岩城宗規が入った。そして、岩城氏が9代続いて明治を迎えた。
築城年 |
鎌倉時代 |
築城者 |
千葉胤道 |
歴代城主 |
千葉、葛西、
江刺、木村、岩城 |
形式 |
山城 |
遺構 |
輪、土塁、空堀、 |
現状 |
西教寺・円龍寺 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
無料駐車場有り |
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