城は見るだけ…歩くだけ(日本の城郭)


                                                    

 
九戸城 
 
      岩手県二戸市福岡城の内・字松の丸           2013/07/24  訪城      
 


別称

白鳥


宮野城

福岡城
 

 


           現在は国指定史跡として整備されており、堀や土塁が忠実に再現されている。

       三ノ丸と松ノ丸は宅地化や墓地などになっている。
  

   

     

明応年間(1492-1501)、九戸光正が築城した。

 天正8年(1580)三戸城主南部24代晴政に嫡男が無かった頃、

    一族の田子信直を後継者としていた。しかし、嫡子・晴継が誕生したため信直を嫌い

  世継ぎを撤回した。晴政死後、南部氏は信直と晴継の跡目争いが勃発。晴継は13才で謎の死を遂げ、信直が継いだ。

      天正18年、秀吉が小田原征伐後、奥州仕置を開始し、小田原不参陣の諸氏を追放したため、

  仕置軍が去った残党が蜂起し不穏な状況となった。

              この機に乗じ九戸政実は信直に対し挙兵したが、政実は謀略に敗れ九戸城は落城し、

     宮城県三迫で処刑された。その後、信直の領土は拡大し、秀吉の命で蒲生氏郷が城を改修した。

    信直はこの城を南部の本拠地としたが、子・利直が盛岡城に本拠を移したため

      寛永13年(1636)廃城となった。
     



 
     

       

    

 
 九戸城には、東北地方の中世の城と近畿地方の近世の城の特色が見られます。

          地形を活かし曲線的な九戸城の中に直線的に改修された

  福岡城の部分があります。三方を川に囲まれた平山城で、約34万m2(指定地21万m2
)、東京ドームの約10倍です。

     九戸城旧来の姿を止めるのは若狭舘・戸舘等で、本丸は改築された福岡城であることが解っています。

 本丸は二ノ丸より一段高く土を盛って築かれており、

     この盛り土から焼けた生活用品や火縄銃の弾丸が出土し、明らかに合戦後の整地です。

         堀沿いに土塁と石垣が巡り、土塁の高く広い部分は隅櫓跡です。

     東の追手門は、門と木橋があったところで、南にも二ノ丸と地続きの小口があります。

 二ノ丸は、本丸の東と南を囲む形で築かれ、

     周囲に土塁、南に大手門、北には搦手(からめて)門があります。

         本丸の西側下は三ノ丸で今は市街地です。松ノ丸は、人工の堀で囲まれ、

            土塁の一部が残り、南東には武家屋敷の在府小路に面して大手門があります。  

                               
二戸市教育委員会 TEL 0195-23-3111



                                                     
 
     

築城年  明応年間(1492-1501年) 元号一覧 築城者  九戸光正  歴代城主  九戸氏  形式  平山城 
遺構  曲輪、空堀、石垣、土塁  現状  公園  ご案内   城跡の地図  駐車場  無料駐車場有り 

                                                                        
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