『吾妻鏡』文治5年(1189年)9月17日条によると「無量光院東門構一郭号伽羅御所、秀衡常居所也。泰衡相継之、為居所焉。」
(無量光院の東門に一郭を設け伽羅と号す。秀衡が常の居所なり泰衡相継ぎて居所となりけり。)と記述されている。
秀衡が鎮守府将軍・陸奥守に任ぜられたことで、奥州藤原氏3代の居館であった柳之御所が政庁としても使用されることになり、
秀衡が柳之御所の南西に、新たに伽羅御所を建てたと推測される。子息たちの屋敷も周囲に並んでいた。
奥州藤原氏第3代藤原秀衡、第4代藤原泰衡
の居館である。 |
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