北上川に周囲を180度以上囲まれる天然の要害であり、10世紀から16世紀まで北上川の要衝地として利用されてきた。
雄大な北上川に守られる景観は絶景である。
伝承によると安倍頼時の八男・白鳥八郎則任の居城跡とされ、中世には白鳥氏が居城したと伝えられる。一説によると、
後三年の役当時は清原真衡が館を置いていたとも伝わる。
12〜13世紀初めには手工業生産が行われていた船着き場「川湊」として利用され、
奥州藤原氏の重要な拠点として都市平泉の機能の一部を担っていた
平成17年7月に、衣川区の長者ヶ原廃寺跡とともに国の史跡「柳之御所・平泉遺跡群」に追加指定された。
|