周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもつ城で、
昭和42年度からの県の発掘調査により、
八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、
当時の姿を物語る貴重な遺構が相次いで発見されています。
こうした発掘調査の成果に基づき、平成6年度から4棟の復元建物
(八角形鼓楼、米倉、兵舎・板倉)をはじめ、城の立地や規模、構造などを
体験的に学習できる歴史公園として整備を進めています。
ガイダンス施設「温故創生館」では、展示や映像により、
鞠智城の歴史や構造について詳しく学ぶことができます。
鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、
大和朝廷(政権)が築いた山城です。
663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷(政権)が日本列島への侵攻に備え
西日本各地に築いた城の一つで、九州を統治していた大宰府やそれを守るための
大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地でした。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、
平成16年2月27日に国史跡に指定されました。