城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)

熊本城本丸御殿

鞠智城 

復元天守閣 
     山鹿市菊鹿町米原443−1           2014/07/23  訪城
   熊本城石垣群

米原長者屋敷 

               
  


  

   今年度の最大のイベントと(みのやんにとって)して

   六年振りの九州地区の城廻りを夏休みをり利用して

   7月23日から28日迄ユックリと廻って来ました。

   やはり☂模様の初日でしたが、カロウジテ

   本降りから免れて…この調子でコレからも

   行きたいね! ヽ(*´∀`)ノ   2014/07/23




   



   
   

 
  鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷(政権)が築いた山城です
  663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷(政権)が日本列島への侵攻に備え
西日本各地に築いた城の一つで、九州を統治していた大宰府やそれを守るための
大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地でした。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、
平成16年2月27日に国史跡に指定されました。

 周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもつ城で、
昭和42年度からの県の発掘調査により、
八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、
当時の姿を物語る貴重な遺構が相次いで発見されています。
 こうした発掘調査の成果に基づき、平成6年度から4棟の復元建物
(八角形鼓楼、米倉、兵舎・板倉)をはじめ、城の立地や規模、構造などを
体験的に学習できる歴史公園として整備を進めています。
  ガイダンス施設「温故創生館」では、展示や映像により、
鞠智城の歴史や構造について詳しく学ぶことができます。
鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、
大和朝廷(政権)が築いた山城です。
  663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷(政権)が日本列島への侵攻に備え
西日本各地に築いた城の一つで、九州を統治していた大宰府やそれを守るための
大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地でした。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、
平成16年2月27
日に国史跡に指定されました。



                 
    
築城年  7世紀後半 元号一覧 築城者  大和朝廷  歴代城主  大和朝廷 形式  朝鮮式山城 
遺構等  礎石、土塁 現状  歴史公園  ご案内   城跡の地図  駐車場  無料駐車場有り 
                            

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