菊池氏は平安時代中期から戦国時代まで約500年にわたって活躍した
九州きっての強豪武士団であった。常に戦いに終始したが、
特に蒙古襲来の文永・弘安の役では第一線に立って奮戦し、
日本の歴史上に菊池氏の名を残すことになる。
元弘3年(1333)には菊池氏十二代武時が後醍醐天皇の勅命を受けて
鎌倉幕府倒幕に決起したが、大友氏などの離反にあい悲壮な最期を遂げた。
しかし、菊池武時の子武重が肥後守護職に任ぜられ、
南北朝統一後も守護職を続け、
永正17年(1520)に菊池氏二十四代武包(たけかね)が
大友氏によって追放されるまで、菊池氏は隈府城を本城として
肥後の国に君臨していた。
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