城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)


熊本城本丸御殿

宇土城 

復元天守閣 
     熊本県宇土市古城町           2014/07/26   訪城
   

近世

宇土城

熊本城石垣群

               
  


秀吉による九州平定後、小西行長は

天正16(1588)年,宇土・益城・八代などの

肥後の南半分(約14万6千石)の領主とし
宇土に本拠をおきました。

最初は宇土氏や名和氏が居城した宇土城(西岡台)に入りましたが,

翌年には現在の古城町に

新たな城(宇土城(城山))の築城を開始しました。

 しかし,間もなく秀吉の命令で先鋒として2度にわたり朝鮮半島に出陣(文禄・慶長の役:1592〜1598年)。

文禄の役では,破竹の勢いで漢城(現在のソウル)や平壌を占領しました。

一方,外交の責任者として朝鮮王朝や明との和平交渉も任されるなど,

日本の命運を左右する重要な役割を担いました。まさしく「秀吉が日本を託した男」といえます。 




  熊本城堀 
 
      慶長5年(1600)、行長は関ヶ原合戦で西軍に属し処刑され、宇土城は熊本城主加藤清正が攻略した。

      関ヶ原合戦の戦功により、肥後一国を領した加藤清正は、宇土城を修築したが、

      慶長17年、幕命により廃城となった。正保3年(1646)、細川行孝が3万石を分知され宇土藩を設けた。

      行孝は、破却された宇土城に陣屋を構えた。以後、宇土細川家が11代続き明治を迎えた。

    
築城年  天正17(1589) 元号一覧 築城者  小西行長  歴代城主  小西、加藤 形式  平山城 
遺構等  石垣、曲輪、堀 現状  城山公園  ご案内   城跡の地図  駐車場  無料駐車場有り 
                            

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