城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)
八代宮
後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、
懐良親王没後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀する。地元では「将軍さん」の愛称で呼ばれている。
建武中興十五社の一社である。境内地は、八代城本丸跡で県指定史跡。
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肥後国は、薩摩島津氏への押さえのため、
元和元年(1615)一国一城令公布後も熊本城以外に
麦島城の存続が認められていた。
元和5年、麦島城が大地震により甚大な被害を受けたため、
熊本城主・加藤忠広は麦島城を廃して新城築城に着手し、
元和8年八代城が完成した。
寛永9年(1632)、加藤忠広が改易となり豊前小倉から
細川忠利が52万石で熊本城に入ると、隠居した父・細川忠興は豊前中津から八代に入城した。
正保2年(1645)忠興没後、熊本藩主細川光尚は、筆頭家老松井興長を八代城主とした。
以後、松井氏が八代3万石を領し、明治を迎えた。
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明治3年8月2日熊本藩は松井盈之の八代城守衛を免じ、同4年11月八代県庁を本丸に置くが、
同6年1月白川県に合併。廃城後、建物は大書院を除き取り壊される。大書院は代城校という学校に使用された
。
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築城年 |
元和8(1622 元号一覧 |
築城者 |
加藤忠広 |
歴代城主 |
加藤 |
形式 |
平城 |
遺構等 |
曲輪、石垣、水堀 |
現状 |
城跡公園 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
無料駐車場有り |
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