肥前西部最大の戦国大名であった有馬氏の居城である。同氏については藤原純友末孫説もあるが
実は肥前高来郡有馬庄を本貫とする豪族である。
日野江城は建保年間(1213-19)有馬連澄が築城したとの説もあるが、南北朝期に築城されたとも考えられる
城下には有馬氏とその家臣たちの居館が設けられた。第13代城主・有馬晴信はキリシタン大名として有名で
天正8年(1580)には城の麓にセミナリヨが建てられた。しかし、岡本大八事件により有馬晴信は改易となった
元和2年(1616)、有馬氏に代わって松倉重政が日野江城に入ったが、
新たに島原城を築城したため日野江城は廃城となった。
島原城築城時に日野江城の建築物や石垣のほとんどを運んで使用しと言われるが
現在も中々、石垣は残って要るように思いますが石を多し詰みなおして要るのかな?