城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)
鶴亀城
鎌倉後期に神代氏が築城し、代々神代氏が居城した。天正5年(1577)、龍造寺隆信は平戸松浦鎮信を攻略し、
更に大村純忠と結んで諫早の西郷純堯勢を討って島原半島に海上から兵を進めた。
龍造寺方についた城主神代貴茂は、島原半島南部の有馬鎮貴と対立するようになり
、
天正12年、有馬氏を応援する薩摩の島津氏の軍勢が上陸すると、龍造寺氏も軍勢を神代に率いてきたため、
神代城は本陣となった(沖田畷の戦)。この戦いで龍造寺隆信は討死し、神代貴茂は謀殺され、
神代氏は滅亡した。城には有馬氏の代官が一時置かれたが、天正15年、豊臣秀吉の九州征伐に際し、
鍋島直茂に論功行賞として神代領3千石が与えられ、以後、鍋島氏の飛地として陣屋が置かれた。
築城年 |
鎌倉後期 元号一覧 |
築城者 |
神代氏 |
歴代城主 |
神代氏 |
形式 |
海城 |
遺構 |
曲輪、土塁、空堀 |
現状 |
神代神社 |
ご案内 |
城跡の地図 |
鍋島陣屋 |
駐車場有り |
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