久宝寺城(きゅうほうじじょう)
城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)
|
大阪府八尾市久宝寺6丁目6
久宝寺寺内町 2013/02/22 訪城 |
畠山満基の居城と伝えられる。畠山満基の子、畠山満定は地名にちなんで渋川氏と改姓し、
その子、畠山満重は安井氏と改めた。安井定重、安井定正兄弟は織田信長に仕え、大阪石山合戦の際、
石山本願寺勢に攻められ共に戦死、久宝寺城は落城した。その末弟、清右衛門定次が、家を継ぎ久宝寺屋敷135石となる。
ちなみに、大阪の道頓堀を開き、繁華街の基を造った安井道頓は、この出身である。
八尾市久宝寺6の工場裏に城址碑・説明板がある。
八尾市町並みセンター内に安井道頓の出生地の碑が有りました。
| |