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大阪府東大阪市若江北町 たくさんの石碑が建つ城址 012/04/15 訪城 |
若江城は、南北朝時代の争乱期(14世紀末)に、幕府の命令により河内国内の武士の統率と取締りのため、
河内国守護に任じられた畠山基国が、北朝方の拠点として築いた城郭と考えられ、
永徳2年(1382)から天正元年(1573)までの約2世紀間、河内国守護の
政庁の役割を果たした。畠山氏は、満家・持国に継がれ、このあと政長と義就の義兄弟の家督争いは応仁の乱へと発展し、
やがて支配は細川氏から三好氏へ移り、永禄11年(1568)には畿内を平定した織田信長が三好義継を若江城主に、
畠山高政を高屋城主とした。城は石山本願寺攻撃の拠点として使われたが、和議が成立し、城の役割を終え廃城となった。
現地説明板より
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2013/02/21 再度訪城 と 言うのは車のナビに城名を入れ間違い再びやって来ました。 |
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