城は見るだけ…歩くだけ!
 (日本の城郭)



 

  唐津  
         佐賀県唐津市東城内                2014/07/23  訪城

別称

舞鶴城
 

       


       
        唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、

満島山に位置する。唐津湾に

    突き出た満島山上に本丸が配され、

その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城である。


     




                                     
文禄4年(1595)、豊臣秀吉が側近の寺沢広高を唐津に封じ、朝鮮出兵の本拠地・

名護屋城の後詰の城として急遽築いた。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の戦功により、

寺沢広高は12万3千石を領し、

慶長7年(1602)から7年の歳月をかけて唐津城を築城した。

天草も支配していた寺沢氏2代堅高は、

寛永14年(1637)の天草島原の乱の責任を問われ

天草富岡城4万石を没収され、

正保4年(1647)自殺したため、寺沢氏は2代で断絶し、

幕府の直轄地となった。

慶安2年(1649)播磨明石より大久保忠職が8万3千石で入封した。その後、

大久保氏2代、松平氏3代、土井氏4代続いて、

宝暦12年(1762)三河岡崎より水野忠任が6万石で入封した

文化14年(1817)水野氏4代・忠邦が遠江浜松に転封となると、

替わって陸奥棚倉から小笠原長昌が6万石で入り、

以後、小笠原氏が5代続いて明治を迎えた。

   
   



明治10年(1877年)舞鶴公園として整備、開放された。

     昭和41年(1966年)文化観光施設として5層5階の模擬天守が築かれ、

門・櫓も同時に再建された。

平成元年(1989年)唐津市役所前に肥後堀と石垣を復元。

平成4年(1992年)二の丸跡に時の太鼓を復元。

  平成5年(1993年)市役所付近に三の丸辰巳櫓が復元された。


 




城年  慶長13(1608) 元号一覧 築城者  寺沢広高  歴代城主  寺沢、大久保、松平、
土井、水野、小笠原   
形式  平山城 
遺構  模擬天守,櫓,石垣,本丸石段
 ,曲輪,土塁
現状  舞鶴公園 ご案内   城跡の地図 駐車場  市営駐車場有料 


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