河越氏館 
 
      埼玉県川越市上戸                         13/08/23  訪城      
 


別称

川越館
 

 

                     遺構らしき物は余り見当たらず…変りに発掘調査の説明板は細かく紹介されて要る。
  
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河越館は、平安末期から南北朝中期にかけての約200年間、

武蔵国で大きな勢力を誇った在地領主である河越氏の居館である。

治承4年(1180)源頼朝が伊豆で挙兵すると、河越氏は初め敵対したが、

後に御家人となり、平氏討伐軍に参戦した。河越重頼の娘は頼朝の弟・

義経の妻に選ばれたが、義経と頼朝の仲が悪化したため、義経縁者ということで重頼らは滅ぼされ、

河越氏の勢力は一時衰退した。鎌倉中期に入り、

高野山に町石を建てた経重の頃、かつての勢力を回復し、

鎌倉後期に館の中に常楽寺が開山された。

応安元年(1368)、河越氏や高坂氏ら「平一揆」が河越館に立て篭もり鎌倉幕府に反旗を翻したが、

あえなく敗れ、河越氏は政治の表舞台から姿を消した。

戦国時代には、関東管領山内上杉氏が川越城の扇谷上杉氏に対抗するため、

かつての河越館を含むこの周辺に陣所(上戸陣)を構えた。

現在残る土塁は、その頃の遺構と見られ井戸空堀等は復元されている。
      

   
                常楽寺
   
築城年  平安〜鎌倉時代 元号一覧 築城者  河越重隆  歴代城主  河越氏  形式  平城 
遺構  曲輪、土塁、復元空堀、復元井戸  現状  史跡公園、常楽寺西  ご案内   城跡の地  駐車場  常楽寺に駐車場有り 

                                          

                               
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