蒲生氏の居城跡。中野城ともいいます。 築城以前の蒲生氏の城は、 音羽丘陵上にありましたが、
蒲生定秀(がもうさだひで) により戦国時代に日野城が築かれました。 築城にあたっては、 既存の日野市街を城下町とし、 城のある西大路付近を武家屋敷地帯、 日野市街を町屋敷地帯としたといいます。 明智光秀の謀反によって
殺された織田信長の妻子が、 身を寄せたのは日野城です。
蒲生氏郷はこの城で生まれ、
若くして戦国武将の器量を備えていたので、
豊臣秀吉に抜擢されて伊勢12万石の領主となって日野城を去りました。
徳川時代に入って天和6年(1620)市橋長政
が中野城址へ仁正寺藩1万8千石の陣屋を構え、
明治維新まで藩主となった。
(近くに日野川ダムが有り行楽には最適です)
2013/03/08 再訪城
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