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滋賀県守山 三宅町 2012/09/07
訪城 |
三宅城は築城年代や築城者については定かでないが、一向宗蓮生寺が城郭化したと考えられる。
元亀2年(1571)織田信長に抵抗した一向宗徒との金森合戦では、
一向衆徒の拠点の金ヶ森城の出城で、
金ヶ森城とともに落城したと思われる。蓮生寺はその後も荒廃することなく、
寺観の整えられた典型的な中世寺院の形態を残している。
山門前や境内南側には今も幅約4メートル、
高さ1〜2メートルの土塁が濠を伴って残っており、
四周を囲繞した防禦的色彩が見られ、往古の景観をとどめている。
蓮生寺境内
本堂は元和元年(1615)の再建で、
室町時代の様式をとどめた江戸時代初期の建築のおもむきをうかがうことができる。
当寺の寺宝は多く、ことに初期真宗道場の名残りをとどめる名号、□師□□が伝えられ、
また中将姫真の筆といわれる称讃浄土経(奈良時代、市指定文化財)が保存されている。
説明板より
築城年 |
詳細不明 |
築城者 |
詳細不明 |
歴代城主 |
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形式 |
平城 |
遺構 |
曲輪、土塁、堀跡 |
現状の形態 |
西教寺・円龍寺 |
備考 |
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駐車可(寺) |
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