馬伏塚城(まむしづかじょう) 城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭) |
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遺構 ![]() 現状の形態 ![]() ![]() ![]() |
室町中期、小笠原長高が築城した。文亀元年(1501)、遠江国守護であった斯波氏と駿河国守護であった 今川氏が遠江国の支配を巡り覇権争いを繰り広げた。今川氏が滅亡すると、小笠原氏は徳川家康に属した。 天正2年(1574)、南遠地方の要であった高天神城が落城し武田勝頼が支配すると、家康は馬伏塚城を高天神城 攻略の基点とし、城を大改修した。家康の重臣・大須賀康高を城主とし、 天正9年(1581)、高天神城が落城するまで、横須賀城と共に重要な拠点だった。しかし、 天正10年、徳川家康による遠江支配が安定してからはその役割を終え廃城となった。 (この小笠原氏の末裔が後に小笠原列島を発見したんです。)
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