天文4年(1535年)里見義堯が築城し、長子・義弘を佐貫城に配した。
天文7年(1538)第1次国府台合戦で、里見父子は小田原北条氏・古河公方・真里谷武田らの連合軍に敗け、
本拠の安房へ一時退去した。
天文23年(1554)から翌年にかけて、
北条綱成を主力とした兵2万が久留里城を包囲したが里見父子は撃退した。
永禄7年(1564)第2次国府台合戦で里見義弘軍は大敗し、
久留里城も落城したが、その後、奪還した。
天正18年(1590)小田原征伐で北条氏滅亡後、里見氏は安房に閉塞し、
久留里城には徳川譜代の大須賀(榊原)、土屋、酒井氏等が入封し、
城は改修された。その後、黒田氏が城主となり、明治を迎えた。
築城年 |
天文4年(1535年) 元号一覧 |
築城者 |
里見義尭 |
歴代城主 |
里見、大須賀、土屋、酒井、黒田 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
復興天守、曲輪、土塁、堀切、井戸 |
現状 |
久留里城址資料館 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
無料駐車場有り |
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