城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭)

                                                    

 
関宿城 
 
     千葉県野田市関宿町                          2013/08/24  訪城      
 

 

 
      主郭跡には碑と説明板が有りますが、博物館から江戸川の堤防沿いに500m程南下した左手下が城跡でが解り難い為地元の人に聞きました。
       
     


  応永年間(1394-1428)簗田満助が築城したとの説と、

  長禄元年(1457)簗田成助が築城したとの説があるが詳細不明。

  長禄3年以降は古河城、栗橋城と共に鎌倉公方(後の古河公方)足利成氏方の戦線の一翼を担っていた。

  永正3年(1506)以降、古河公方足利政氏は子の高基と対立し、

  永正7年、高基は簗田高助の支援を受け関宿城に移座した。

  永禄元年(1558)、北条氏康により、簗田晴助は関宿城を足利義氏の御座所として

  進上した代わりに古河城を与えられた。

  永禄4年、上杉謙信が関東に進軍してきたため、義氏は古河に戻り、関宿城には再び簗田氏が入った。

  簗田氏は反北条氏として3回もの関宿合戦を繰り広げたが

  天正2年(1574)、関宿城は北条氏によって落城し、簗田氏は水海城へ退去した。

  以後、関宿城は北条氏の直轄支配となったが、豊臣秀吉の小田原攻めによって

  北条氏滅亡と共に関宿城も落城した。

  天正18年(1590)徳川家康の関東入封に伴い、家康の実弟・松平康元が関宿城に2万石で入城した。

  以後、城主は松平、小笠原、北条、牧野、板倉、久世、

 牧野と交代し、宝永2年(1705)久世重之以後、明治に至るまで関宿は代々久世氏が治めた。 
  

     

  
       


   

       
                       全体の3分の2は江戸川の河川改修に伴い、堤防の下に埋もれています。


築城年 

応永年間(1394-1428)?、
    長禄元年(1457)?   
元号一覧

築城者 

簗田満助?、簗田成助? 

歴代城主  簗田、北条、松平、小笠原、
板倉、牧野、久世 
形式  平城 
遺構 

模擬御三階櫓、 移築現存門(逆井城に) 

現状  関宿城博物館、川、田畑  ご案内   城跡の地図  駐車場  無料駐車場有り 

                                          

                               

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