城跡はかなり広範囲らしく…遺構は土塁ぐらいしか目に付かず博物館に見学に来たような感じでした。
大治元年(1126)、常将の三代後の千葉常重が、大椎城から移って古城を整備した。
主郭が台地の亥の方向に突き出ているため、亥鼻城とも呼ばれた。
千葉氏は源家との縁が深く、前九年の役、後三年の役、保元・平治の乱に合力し、
常胤のとき頼朝を援けて功をあげ、
繁栄した。しかしその後、関東の内乱に巻き込まれ、同族間の内紛があり、
里見氏勃興などで次第に勢力は弱まっていった。
康正元年(1455)、千葉胤直の時、叔父馬加康胤に急襲され城を落ちのびて以降、千葉氏を継いだ康胤の子孫が
長禄元年(1457)に本拠を印旛郡本佐倉に移したため、千葉城はその意義を失った。
築城年 |
大治元(1126) 元号一覧 |
築城者 |
千葉常重 |
歴代城主 |
千葉氏 |
形式 |
平山城 |
遺構 |
模擬天守、土塁 |
現状 |
千葉市立郷土博物館付近一帯 |
ご案内 |
城跡の地図 |
駐車場 |
無料駐車場有り |
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