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 応永年間(1394)頃に奥平氏2代目・貞久の次男で石橋と称した弾正久勝が築城した。後に久勝の子
 
 弾正繁昌が主家に背いたため、4代目・貞勝に城を攻められ、天文6年(1537)、郎党40余名が討死した。
 
 慈昌院と呼ばれたお寺が城跡らしく、お寺の門前をくぐると小型犬5〜6匹ぐらいかな
 
 わんわんと大歓迎してくれます、でもね〜ここはお寺だし史跡だし如何なものかな〜?と
 
 思いますわ、城跡としてもやはりイマイチですわ… 
            帰りにまた犬達が吼えまくっていたわ〜
 
 愛知県新城市作手村 2007/10/7 
            訪城
 
 
 
 
 
              
              
                | 築城年 | 応永年間(1394頃) | 築城者 | 奥平弾正久勝 | 歴代城主 | 奥平氏 | 形式 | 山城 |  
                | 遺構 土塁、曲輪、空堀 |  | 現状 | 慈昌院 | ご案内 | 城跡の地 | 駐車場無し |  |  
 
 
 東三河地区 (新城,豊川,豊橋,蒲郡,田原、設楽,東栄 市町村)
 ©minoyan
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