城は見るだけ…歩くだけ! (日本の城郭)




     

                長沢城

 

  豊川市(音羽町)長沢町古城 2011/01/02  訪城 

 

 

この城跡は遺構はほとんど、見当たりません戦没者の

    大きな碑が有る所の下のほうに(国道沿い)、

   井戸らしき物と碑はあります。



  長録2年(1457)、富田左近義増の子・長沢四郎が築城した。

  応仁の乱(1467)頃、諸国が群雄割拠していたが、西三河は松平信光が岩津城を拠点に掌握し、

  東三河へ進出しようと長沢を攻めてき、信光は夜襲で城を奪い、子の親則に与えた。

  親則が長沢松平氏の祖となり5代目・親広と続いたが、

  永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで松平元康に仕え子の政忠とともに戦死した。

  6代目は孫の康忠が継ぎ、7代目・康直のとき、

  天正18年(1590)小田原の陣で家康に従い戦功をあげ、

   武蔵国深谷城1万石をも領した。

  元和元年(1615)、大阪夏の陣の時、家康の子・松千代の弟・忠輝が城主だったが、

   忠輝を将軍にしようとする動きがあり(忠輝の妻は伊達政宗の娘)、

  家康への反抗として出陣をわざと遅らせた。翌年、お家断絶となり、長沢松平家は滅んだ    
           


                                                 


 
 ©minoyan                                                                                              

 
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