愛媛県今治市宮窪町能島
能島城(のしまじょう)は、中世、村上水軍の一派、能島水軍(野島氏)が水軍城を設けた。
この付近の海域は帆船時代、瀬戸内海航路の最も重要な航路の一つであった。
しかも宮窪瀬戸の東側で能島と鵜島とが流れをさえぎるような位置関係であることから、
干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。このため、
平時には通過する船に対して水先案内人として行きかう船を案内し、帆別銭(一種の通行料)を徴収、
室町期以降この地に能島城を築き、この海域の制海権を掌握していた。。
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写真は陸から望遠で撮りました。 小 |
戦国末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに参戦したが敗北を喫し、
秀吉の海賊停止令により、水軍の歴史は終わりを告げた。
能島城は廃城となり、江戸時代以降無人島となったため、
その城塞遺構はよく保存されているようです。
私達が訪城した時は野島行き船が運航休日で実際には島に渡ることが出来ず又
客数が増えたら船を出すと聞いていましたが、電話で連絡受けましたが
残念ながらお客さんが我々以外に現れず、島に渡ることが出来ず去りました。
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築城年 |
応永26年(1419) |
築城者 |
村上雅房 |
歴代城主 |
村上氏 |
形式 |
水軍城 |
遺構 |
石垣,,曲輪、 |
現状 |
島 |
ご案内 |
国史跡(能島城跡) |
駐車場 |
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