今治城は見事な石垣と美い内堀が現在残っております、
二の丸跡吹場公園となり本丸跡には昭和五十五年に五層六階の天守、
櫓等が再建されています天守内部は今治藩ゆかりの歴史資料館です、
最上階からは来島海峡大橋を一望できます
二の丸跡に建つ御金櫓は郷土資料館山田櫓は古美術館として郷土の品々が展示されています。
堀をくるりと回るとお城の姿も石垣の姿も様々に変わり面白いです。
きょうのリハビリは充分のみのやんでした
このお城はわずか二年余りの短期間で築城しました。
慶長七年(1602) から六月に着工して同年九年(1604)九月はに完成
(さすが築城名手藤堂高虎やぁ〜)
慶長十三年(1608) 藤堂高虎は伊賀一国と伊勢八郡与えられ伊勢津に転封となった、
今治城は高虎の養子の高吉の居城となり、
藤堂家の分家であるため石高は二万石に格下げとなった。
寛永十二年(1635) 藤堂高吉が本家伊勢に移ると、
松山藩主松平定行の弟の定房が三万五千石で入封
以後定房を初代として松山藩の支城として十代続き明治維新を迎える。
松平定行と定房の父は定勝です、
定勝は家康の生母於大(おだい)方が久松後勝と再婚して生んだ子で
定勝は家康の異父弟と言うことで松平姓を許され久松松平と称し松山藩主松平定行が宗家となる。
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