城は見るだけ…歩くだけ! 日本の城郭


 

  愛媛県 河後森 (かごもりじょう)
 
                                                                                                  


  
河後森城   
                      愛媛県松野町                2017/7/23訪城
 

皮籠森城 

向後森城

 


城の築城の年代は不明ですが、主に天文後期から永禄期、

天正期(1500年代後半頃)にかけて機能していました。当地域は当時、

伊予(現愛媛県)と土佐(現高知県)の国境地帯にあって、

黒土郷河原渕領(くろつちごうかわらぶちりょう)と呼ばれていました。永禄期の城主としては、

河原渕教忠(かわらぶちのりただ)の名が残っていますが、

この城主は、土佐一条氏一門から養子として入っています。

 長宗我部氏の四国統一への動き、また天正13年(1585年)の秀吉による四国平定を経て、

当地域を含む宇和郡は、戸田氏、藤堂氏、冨田氏へと支配が移っていきます。

特に藤堂高虎の時代には、河後森城の天守が板島城(現在の宇和島城)に移築されたという伝承が残っています。

 慶長19年(1614年)、伊達秀宗(だてひでむね)が、宇和島藩を創立すると、

付家老の桑折(こおり)氏が居城したといわれ、その後詳細は不明ながら、

元和元年(1615年)の一国一城令の発布によって廃城になったと考えられます。 
 



    

 

                       
          


河後森城跡(かごもりじょうあと)は、平成9年9月11日に国の史跡指定を受けた中世の山城です。

 四万十川の支流広見川、その支流の堀切川・鰯川の三つの川に囲まれた独立丘陵上にあって、

最高所の本郭を中心として、山の稜線部には馬蹄形に曲輪(くるわ:平地)が展開しています。

 中央を南北にとおる風呂ヶ谷をとり囲むように、本郭から西は西第二から西第十までの九つの曲輪が、

東は東第二から東第四、古城から古城第四の七つの曲輪が、

さらにその南には新城の曲輪群が、階段状に連なっています


 


 

   
   


 


 

お問い合わせ先

松野町教育委員会教育課(文化財係) 〒798-2192 愛媛県北宇和郡松野町松丸343番地

電話:0895-42-1118、FAX:0895-42-1391、e-mail:i-kamezawa@town.matsuno.ehime.jp



 

   
               模擬門              模擬建築物(馬小屋)



 



築城年 

建久7(1196)?(不明) 築城者  渡辺連 ?   歴代城主  渡辺連  形式  山城 
遺構  曲輪、土塁、空堀、石垣、堀切  現状  史跡公園  ご案内     駐車場  無料駐車場有 




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