大洲城は南北時代の本弘元年(1331)伊予の守護に任じられた宇都宮豊房が
地蔵ヶ獄に築城したと言うわれています(大洲の地は古来大津と呼ばれた)
天正八年(1580) 宇都宮氏は八代に渡り地蔵ヶ獄城を本拠とし土佐の長會我部氏、
宇和島の西園寺氏、伊予の河野氏など と戦いを繰り返し。
八代豊網は長會我部元親との戦いに敗れ、
断絶 その後旧臣の大野直之が城主となる。
天正12年(1584) 秀吉の四国攻が始まると攻防は一ヶ月に及びついに開城
文禄四年(1595) 藤堂高虎とが宇和島城主となると大洲城は支城として高虎の配下になる
慶長十四年(1609) 淡路洲本から脇坂安治が入封、脇坂二代後
元和三年(1617) 大坂の陣の軍功により加藤貞泰入封 以後十三代加藤氏の居城となり明治を迎える
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