城は見るだけ…歩くだけ!
国吉城
NO2(くによしじょう)
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登城口 若狭国吉城歴史資料館
築城年代は定かではないが、佐柿氏によって築かれたのが始まりで、
弘治2年(1556年)粟屋越中守勝久がその古城跡に築いた
城主の粟屋勝久は若狭国守護職武田元明の重臣としてこの地を治めていた。
永禄6年(1563年)から永禄12年(1569年)まで、
度々越前朝倉氏の侵攻を受けたが、尽く退け落城しなかった。
永禄11年(1568年)には後瀬山城の武田元明が朝倉義景に降り、
越前へ連れ去られているが、降伏勧告を退けて籠城した。
元亀元年(1570年)越前の朝倉氏を攻める織田信長は、
この国吉城に入り若狭衆を先陣として越前に攻め入った。
この戦いで粟屋勝久は大いに武功を挙げ、武田元明を救出した。その後、
若狭に所領を与えられた丹羽長秀の与力となった。
天正11年(1583年)木村定光が国吉城主となり、城下町を整備した。
天正15年(1587年)浅野長吉が若狭の領主となると、
江口三郎右衛門、浅野平右衛門らが城代を務めたという。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後、京極高次が若狭へ入部すると、
家臣の多賀越中が国吉城主となったが、後に一国一城令によって廃城となる。
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今回の目的第一の城跡散歩はこの国吉城でした。
以前でしたら案外楽な山城ですが、
さすがにみのやんも歳を重ね疲れを感じてきました。
でもリハビリ散歩を欠かす訳に行かず、
マダマダ頑張って新たな城跡散歩に挑戦致します。
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築城年 |
弘治2年 |
築城者 |
粟屋勝久 |
歴代城主 |
粟屋氏,木村定光,
浅野氏,多賀越中 |
形式 |
山城 |
遺構 |
曲輪,土塁,石垣,空堀,堀切,館跡 |
現状 |
若狭国吉城
歴史資料館 |
ご案内 |
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無料駐車場有り |
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